昭和49年 >7月27日 札幌市生まれ
  
   ●約3900グラムで誕生。巨大児だった。血液型はA型。
  
昭和56年大阪市立新森小路小学校 入学
  
   ●小さい時から体が弱く、よく風邪を引いていた。
  小学校の時は、月に2−3回は、風邪で欠席。
  よく通っていた小児科医からは、
  「今年もよろしくお願いします」と、
   年賀状が届くほどだった。
  
昭和62年東京都保谷市立青嵐中学校入学
  
  ●中学生からは、何故か急に元気になり、
  体がとても丈夫になった。
  ●父親がサラリーマンで、転勤族だったため、
  中学時代までは全国を転々とする
  ●ちなみに言葉を覚えたのは大阪。父親の転勤の影響で、
  全国を回ったが、大阪には約10年住んでいた。
  そのため、今でも酔っ払うと、大阪弁が出てしまう。
  
平成2年法政第一高校 入学
 
  ●高校生の時より、新座市に在住
  ●旅行が大好きで、中学校の頃から、友人とよく、
  貧乏旅行に出かけていた。高校からは、本格的に
  アルバイトなどをし、貯めたお金で、全国を貧乏
  旅行しまくっていた。ちなみに、島根県と沖縄
   県以外は全国を旅行した。有名な観光地はほとん
  ど行っていると思う。
  
平成5年法政大学法学部 入学
  
  ●大学時代は、結構まじめに勉強もしたが、大半は、
  海外貧乏旅行か、選挙のアルバイトだった。
   海外貧乏旅行は、数回行った。アメリカ、ロシア、
  台湾、ケニア、ウガンダ、南アフリカ等など、
  様々なところに、リュックサック一つ、予約なしで、
  アポなしで出かけていっていた。特にアフリカは好きだった
  ●大学3年の時、南アフリカの首都、ヨハネスバーグにおいて、
  黒人のテロ集団に襲われる。数人に取り囲まれ、パスポート
  もお金も全て取られる。やっとのことで、日本大使館にたど
  り着いたが、お金もパスポートも全て取られ、ジーパンにTシャツ、
  所持品はハンカチ一枚のみだったので、びっくりされる。
  命は助かったが、とても恐かった。
  
平成9年法政大学法学部 卒業
  
  ●大学の当時から、お酒は大好き。特にビールが一番好き。
   因みにその中でも、「一番搾り」、「淡麗生」が好き。
  もちろん、ビール以外でもお酒は何でも大好き。
  飲み放題など行けば、10杯くらいはいつでも飲めてしまう。
  クラスメートとは本当に仲好しで、スキー旅行や
  温泉旅行などをはじめ、学校帰 りにはよく大学近くの
  神楽坂で飲んでいた。
  
同年野村證券株式会社 入社
  
   ●会社時代は野村證券の青森支店にて勤務。支店の人は
 皆良い人だったが、
  当然「ノルマ」も有り、かなりきつかった。ただ、何とかノルマも
  こなし、同期の中では優秀な方だったと思う。
  (自分で言うなと言われるかな)。
  
平成11年野村證券株式会社 退社
  
   ●政治の世界に本格的に参画するため退社。
  
平成12年新座市議会議員選挙初当選
  
  ●3885票という新座市政始まって以来の大量得票にて、トップ
 当選市議会では、保守系無所属第二会派「明政会」を結成。
  ● 選挙中のエピソード
  
同年

 ●新座市議会・建設常任委員、土地開発公社理事、
 勤労青少年ホーム運営委員会に所属。また、10月からは
 決算審査特別委員をつとめる。

 

 

平成14年 ●総務常任委員会に新たに就任。また、土地開発公社理事、
 勤労青 少年ホーム運営委員会は引き続き留任。
  
平成15年埼玉県議会議員初当選
  
  ●16,598票をいただき、無所属(民主推薦)で二位当選。
  県内最大の激戦区で自民、共産候補を破り当選。接戦のため、
  テレビで当確が出たのは深夜に及ぶ。28歳、史上最年少県議
  となる。総務常任委員、決算特別委員会所属。
  ●埼玉県議会では無所属、民主党の一部議員と共に
  「地方主権の会」新会派を9名で結成。自民党、公明党に次ぎ
  第三会派。
  ●同年行われた埼玉県知事選挙では当初より上田清司・
  現知事を支援した唯一の会派でもある。
  
平成19年埼玉県議会議員 再選
  
  ●23,062票の大量得票をいただき、無所属(民主推薦)で
  トップ当選。県議会では無所属、民主党議員とともに「民主党・
  無所属の会」を新たに結成。23名という県政史上最大の第二
  会派。自民党に次ぐ第二会派として活動。会派では政策調査
  会長に就任。また、議会運営委員会、総務・危機管理常任委
  員会、教育改革特別委員会に所属。議会内でも政策派の議員
  として精力的に活動。

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